仕事の向き不向き

以下、愚痴の垂れ流し。


今月末でコンビニのバイトを一時休業します。
元はといえば、パソコンが壊れて代金を肩代わりしてもらったので弟のバイトを引き継いだわけですが。
まぁ無事に返済も終えたのですが、やはり我慢強くないのがありまして。
むしろ「よくここまでメンタルが持ったなぁ」と自分で感心するぐらいです。
元サヤに戻るといいましょうか、元は弟のアルバイトなので。
弟がまた忙しくなるあたりから、また引き継ぎを申し込もうと思います。


で、冗談抜きで4年以上のニートとしてのブランクがあったんですよ。
それでも親父が経営する飲み屋の手伝いを皮切りに、徐々にと外の仕事ができるようになったのも事実です。
まぁ、コンビニ自体は私が無職になった18歳、工場勤めで人間関係が嫌になったのが始まりでして。
向こうで仕事が見つからず実家へ帰ってきて、紹介でコンビニバイトをはじめました。


が、22歳でうつ病発覚、気がついたら電車に飛び込もうと考えていました。
で、帰ると珍しく家族総出で茶の間にいたんです。
それを見た俺はすごく情けなくなって、号泣しながらこの状態を話しました。
で、病院を転々としながらも、バイト再開。
最初はうつ病のフリしたサボりみたいな事を義母とかに言われたことを思い出しましたが、これがいい復帰のきっかけになったのは言うまでもありません。
またバイトでバリバリと働きました、でもやっぱ途中で折り合いがつかなくなり仕事場から逃走。
そこからニート生活へと入って行きました。


ニート生活ははっきり言って堕落しきっていました、ですが義母が肝臓を患い手術が困難になりました。
それでも退院、車椅子生活ながらも自分は義母をはじめ内からサポートしようとニートながらも買い出しとかに同行していました。
幸いにも車の免許証があるので、主に義母と妹達の送迎などと自分なりに充実していたと思います。


でも、義母は病気に負けました。
自宅で腸が破裂し、意識がないまま搬送先の病院でなくなりました。
また目標を失い堕落の日々が始まりますが、それでも家事などは極力こなすようにしていました。


ある日、親父が飲み屋を建てたと言いました。
ママさんはオヤジの元彼女、ここを経営するためにわざわざ釧路から親御さんを残してまで引っ越してくれました。
最初はうまく関係が行っていたように見えましたが、やっぱ親父原因のトラブルが絶えない。
しまいには店はいらないと言い出して、結局は飲み屋のママが店を引き継ぐことになりました。
幸いにも、常連さんに恵まれて細々ながらも隠れ家的な店として賑わっています。


で、ここからまたコンビニバイトへと復帰するキッカケが上にも書いたように、パソコンの故障。
総額10万円を親父に借りました、しかし返済するにも月1万では時間がかかりすぎる。
そこで見かねた弟が、多忙だからと変わってくれないかと声をかけてくれました。
その時不思議と嫌な気分はなく、むしろさっさと返済してやると息巻いていました。


引き継ぎは11月から、クリスマスと年末年始と時間が進むごとに入れ替わるイベント、それでもやりがいがありました。
また、周りにも辞める前のメンバーが何人かいたこともあり、人間関係は新旧含めてスムーズに溶け込めたのが救いでした。


ですが、ここ最近限界を感じるようになりました。
コンビニバイトと一口いっても接客だけではない、時間を上手く使わないと次の仕事が間に合わないのもザラです。
また、自分は基本キョドり体質なので、それを面白がるお客さんも多いです。
それだけならいいのですが、たまに困ったお客さんにも度々出くわすこともあります。
自分が作業に没頭していると、気が付かずお客さんを待たせることがあり怒鳴られた事もありました。


…ここまで羅列して訴えたかったのは、本当にこの仕事に向いてるのか?
自分の勝手な行いで店に迷惑かけても、その店は自分を受け入れてくれます。
被害妄想なのかもしれないけど、ただ単に使い勝手がいい人間なのかもしれないと思ったりもします。
朝、昼、晩とひと通りの業務は覚えたので、いつのシフトに入っても大抵はこなせるのが強みかもしれません。
ですが、そろそろ休暇がほしいです。
つくづく自分はダメな人間だと思います。


7月に入ったら自分の時間があると言ったら嘘になります。
外の仕事から逃げられても、祖父母の面倒を見なければいけません。
今現在祖母は骨にヒビが入り入院中、リハビリも含めしばらく時間がかかります。
祖父に至っては物忘れがひどくなってきました、10分足らずで3回以上おなじ質問をするのはザラです。
そして足腰が弱ってきてるので祖父の車を廃車にしましたが、当然ながら納得がいかない様子。
自分が何とか説得して祖父の足代わりになっていますが、自分がこのままどっかで心が折れてしまうのではないかと不安になってきます。


親父は全く役に立ちません、買い物したら金額を要求するぐらいです。
米配達に行ってくると言って、朝帰りは様式美。
かといって何もスケジュールがないのに、夜何処かへひっそりと出かけていきます。
店のママが言うには、俺達が子供の時から外に愛人を何人も作っては援助していたらしい。
だから俺は高校止まりだったのか、弟が大学行くための奨学金の保証人のサインだって親父の妹夫婦になってもらっていたぐらいだし。
もちろん、自分が28の時にバンタンアカデミーに行きたいがために奨学金の保証人になってくれと懇願しても、絶対首を縦に振らなかった。
まぁ、この件については別に勉強せんでも、活路が少しずつだが見いだせたので不問にしておく。


じゃあ、自分の今現在やっている請負作業はどうかというと、ご覧の有様だ。
実はこの分野でも向いてないんじゃないかなと、疑問までいだきそうになる。


衝動的にツクール2000を買ったのはいいが、構想があっても作業をどうしたらいいのかがわからない。
というか、向こうは素材はぶっこ抜きとか多いので、どう素材を扱っていいのpか今現在はわからない。
この辺は適当に考えるべきだし、今現在の作業が優先するべきだと思う。


最後になるけど、18の時に無理してでも札幌のデザイナー学院に入学してたら、少しは人生が変わっていたのだろうか?
もしかしたら昔諦めた漫画家になって、細々とやりたいことをやっていたのかなと振り返ることがある。
でも、この人生を選んだのは、間違いなく自分だ。
公開しても後悔のしようがない、でもドッターとしては認められたと思えば活路が見いだせたと思える時もある。
本当は社会復帰したいけど、どうなるかは正直わからない。
せめて人並みに生活できるぐらいメンタルは欲しいし、お金も稼ぎたい。
それでもダメな自分に仕事を振ってくれる人達がいるのだから、自分は幸せなのかもしれない。
ただ不幸なフリして、今までのことを振りきれないだけかもしれない。
それでも、自分はここに存在してる。
やっぱ人間って不思議だ、生きるじゃなくて生かされていると思う。